秩父の山は地球の窓
秩父の山を知ることが、地球の成り立ちを知ることになる
秩父の山を知ることが、地球の成り立ちを知ることになる
秩父の山に描き出されている手がかり
都会の騒音を離れて、清い流れが絶え間なく川岸の岩を噛むところ、長瀞は私達を大自然のふところに導いてくれます。
水面に影を落し積み重ねたような岩畳、太陽の光を浴びて光り輝く美しい鉱物の姿は、夜空に星を眺める心地にも似て、私達の心の奥に潜む清く美しいものへのあこがれをかきたててくれます。
天然記念物で満たされた長瀞の岩畳に沿って荒川を上流に上ると、急に谷は開いて、水の流れもゆるやかな盆地に出ます。
そこにはもう、長瀞で見たような石はなく、両岸は砂や泥や小石がお互いに固く結びついて大きな層になっています。
そして、そこかしこに白い衣を着た貝やカニの化石が顔を出しているのを見かけます。
秩父の山は古来、日本地質学発祥の地と言われ、地球の骨組になっている岩石の世界や秩父の山のみならず、日本の島の生い立ちを研究する大切な手がかりにされているところなのです。
それは、丁度、地球に開けられた窓にもたとえられ、この窓から覗き込むことによって、秩父の山に描き出されている地球の中で起きた数々のできごとについて、眼のあたりに学ぶことができるのです。
秩父の山には沢山の石灰岩があります。この石灰岩の中には米粒のような形をしたフズリナと呼ばわる小さな生物の死骸が化石になって入っています。その他、ウミユリやサンゴの仲間もみられのですが、それらは、みんな海の中でなければ生活することができない生物達ばかりなのです。自然界には色々と不恩議なことがありますが、これも確かに不思議なことの一つです。私達がこの問題を解き明かすためには、どうしても今から凡そ三億年程歴史を、逆上ってゆかなければならないのです。
その頃、太平洋の荒波はアジア大陸の海岸を激しく噛み砕いておりましたが、大陸の東の海には波の砕ける小島一つ浮んでおりませんでした。それどころか、今の日本列島のある辺りは深い深い海の底で、海岸から波や海流で運ばれた泥や砂の溜まり場になっていたのです。
この場所は長く伸びたお盆のような形をしていて、土砂が溜まれば溜まるほど凹んでいったと考えられています。
このようにして積もった土砂の層はおよそ5000m以上にもおよび、その中には当時海に棲んでいた生物の死骸も一緒に封じ込められてしまったのです。
池の底にうごめく泥のようなもの、これが秩父の山の中で最も古い秩父古生層と呼ばれる石の大昔の姿であり、又、日本列島そのもののゆりかご時代のありさまでもあるのです。
しかし、このゆりかごは平穏な海底ではなく、恐ろしい海底火山の爆発にもしばしば見舞われておったようです。
今、私達が三峯山麓の登龍橋下に見ることのできる(※)と呼ぶ岩石は海底火山灰がうず高く積もったもので、海底火山の激しさをよく物語っております。
一方、武甲山を始め数多くの石灰岩の山も当時の海底に堆積した産物に外なりません。